フェラーリのスペチアーレ・モデルのひとつ「エンツォ・フェラーリ」のデザインを手がけたケン・オクヤマこと奥山清行氏の足跡を辿るENGINEの人気連載よりプロローグを特別掲載。ジャーナリストの田中誠司氏が、奥山氏の山形ファクトリーを訪ねると……。
文=田中誠司 写真=阿部昌也
山形市の市街地の東端。高速道路の山形蔵王ICからほど近いところに、ケン・オクヤマ・デザインの山形ファクトリーはある。
近所にある大手運送会社の配送センタ—を凌ぐほどのサイズながら、 看板のようなものが一切ない、ほとんど白一色の素っ気ない建物だ。
ここは奥山清行(敬称略)がデザインしたワンオフ車両が作られる「カロッツェリア」であり、彼の愛車たちを収めるガレージでもある。
「1階と4階が仕事場とガレージになっていて、途中の階は屋内用テニスコ—卜にして、教室を開いているんですよ。副業ではじめたのがうまく行ってしまいましてね」。いつものようにおどけながら、主である奥山自身が我々を案内してくれた。
まずはここに収まる奥山の愛車たちから紹介しよう。
筆頭は「エンツォ・フェラ—リ」 ピニンファリ—ナ在籍時、奥山の手によりゼロからかたち作られた限定 399台のうちの1台だ。歴史的名車の高騰により、現在その価値は3 億円近いと言われている。「自分の生み出したクルマは、高くて自分では手に入らないものばかりなんです」 とかつて奥山はうそぶいていたが、「今後の奥山さんのブランドを考えたら、いま入手しておいた方がいい うちで特別社債を組むから」と、メインバンクの頭取自らが購入を勧めてくれたという。「買ったのは2016年春。『これは悪魔の囁きだ』 と思いましたが、手に入れてよかった。人生変わりましたね」。
そして、その正面に鎮座するのは 「Kode57」。奥山が今年、名誉審査員を務めるペブルビ—チ・コンクール•デレガンスで2016年に披露されたワンオフ・モデルだ。フェラ—リ599GTBフィオラノをベースとしており、約60台しか製造されなかった6段MTがこの4号車には備わる。「自分でずっと持っておくためにマニュアルで作りました」。
奥でアルミニウムの輝きを静かに放っているのは、初めて自身の名を冠したモデルである「Kode7」。 ロータス・エリーゼのシャシーをベースに、余分なものをすべて排除し アルミとカーボンの多用により軽量化。ロ—タス・セブンの原点に立ち返ることを目標とした。コンセプトカーの名作ストラトス・ゼロからインスパイアされ、一直線のラインで描かれた「Kode0」は、実物サイズのハ—ドモデルが保存される。
さらに自身がデザイナーになるきっかけを作ったクルマのひとつだという「シボレー・コルベット(C2)」 や、奥山がトリノで乗っていた個体そのものである「フィアット500」、 「アルファ• ロメオ•スパイダ—」 が日本に持ち込まれたほか、隅には モ—夕—サイクルの「カワサキ900RS(Z1)」も花を添える。 この4階までクルマをどうやって 運んでいるのかというと、もちろん 車両用エレベ—夕—によるのだが、 簡易的なものをなんと自分たちで設計して800万円の予算で作ってしまったというから驚く。奥山の作品である先代マセラティ・クアトロポルテは、このエレベーターには収まらないがゆえに1階に置かれる。
愛車たちの向こうで静かに眠るの は、カーボンやFRPで形作られる ボディパネルの、メス型の数々だ。
稿を改めて詳しく紹介するつもりだが、ケン・オクヤマ・デザインの ワンオフ・カ—の製作手順を大雑把に説明すると、奥山を中心とした東京にいる数人のデザイナーが車両のコンセプトを決め、必要なシャシー・コンポ—ネンツや補機、内装などの形状が定まったところでそれらを 正確に3Dスキャンする。そのデータをもとに4分の1スケ—ルでモデルを作り、その上にクレイモデルを 重ね合わせていく。「これは僕らが 開発したスタイルです。デ—タから直接メス型を作って、そこからボディパネルを製作するわけです」。 山形ファクトリーには塗装室、FRP室、金工室、自動加工機を備えたモデリングルームが設置され、車両製作に携わるスタッフが5人活動している。ボディパネルの開発と生産を手掛けるモデラー、さまざまなメカニズムの調整を担うエンジニア、内装を一品ずつ工業用ミシンで設えていくパタンナーである。ここはおそらく日本で唯一にして、きわめて付加価値の高い、独自のデザインが施され、実際に走行可能なクルマを作れるカロッツェリアなのだ。
奥山がアーカイブからスケッチの数々を披露してくれた。彼の学生時代の作品から、GMやピニンファリーナでのちに彼の代表作となるモデルたちの開発途中の案まで、目からウロコが落ちるようなものばかりだ。
「少し、走りたくなっちゃったな。57に、乗ってみませんか?」 。撮影に一区切りつけた取材チームを、奥山はKode57のパッセンジャー・シートに招いてくれた。緑豊かな山形蔵王のワインディングロードは、ファクトリーからほんの数分のところにある。マニュアル・トランスミッションを備えるV12エンジンが放つ、軽快かつクラシカルなサウンドがオープンエアから響く。その音色を楽しみつつも、奥山は計器類が順調に動いているか、ポリカーボネート製ウィンドシールドの振動の具合やエンジンからの熱気の侵入などをチェックして、エンジニアにフィードバックしていた。
「大企業だとデザイナーが自分でこんなことやらないじゃないですか。自分でやると、いかに大変かわかる。見方が変わりますね。面白いですよ。こっち来るともう戻れないですね」
さて、奥山清行の大まかな経歴は、エンジン読者の皆さんならご存知だろう。日本からも高名なカーデザイナ—は輩出されているが、フェラーリのデザイナーとしてクレジットが認められたのは奥山ただ一人である。さらに、彼ほど自動車を起点としながら他業界に堂々と進出し、さまざまな功績を挙げた日本人デザイナーはほかに存在しない。
ENGINEの連載では、奥山の生まれ故郷である山形を起点に、東京とカリフォルニアでデザインを学び、GM、ポルシェ、ピニンファリーナを経て再び日本を起点に活躍の場を広げていった足跡を可能な限り詳細に辿り、彼の創作の秘密を探り出したい。筆者は奥山と親交が深いとまで言うのは憚られるが、かつて雑誌編集者時代、取材をきっかけにケン・オクヤマ・アイズとコラボレーションしたオリジナル・サングラスを製作した経験があるなど、それなりに気心は知れているつもりだ。新発見満載の企画に期待されたい。
ENGINE 2021年9月10月号掲載