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2022.10.26

トヨタ博物館の特別展「テールフィン・ラブ」を見に行く 

気分は50年代、テールフィンがいっぱい!

アメ車を中心に1950年代に大流行したテールフィン。「世界を変えた、あの流行をふり返る」と謳う展覧会を訪ねた。

文=村上政(本誌) 写真=トヨタ博物館

会場に入った瞬間、正面にドーンと並べられた3台のアメ車に圧倒された。左からピンクのエドセル・サイテーション・コンバーチブル(1958年)、クリーム色のキャデラック62コンバーチブル(1959年)、そして真っ赤なシボレー・インパラ・コンバーチブル(1959年)。いずれも5mを優に超える全長を持ち(キャデラックに至っては5715mm)、リアに巨大なテールフィンを備えた、この時代を象徴する名車たちだ。加えて、わが国のトヨペット・クラウンRS-L型やドイツのメルセデス・ベンツ300dといった、アメ車の影響でテールフィンをつけた同時代のクルマをも集めた企画展が、愛知県長久手市のトヨタ博物館で開かれている。題して「テールフィン・ラブ」。なんともキャッチーなタイトルで、「さすがですね」と企画を担当した増茂浩之副館長に賛辞を投げたら、「実は、最初は“テールフィンとは何だったのか”みたいなカタい案ばかりだったんです」という答えが返ってきた。で、もっとインパクトのあるものを、と考えて出てきたのが「テールフィン100連発」とコレ。さすがに50台はないので、翼への愛を込めてこのタイトルに決まったのだそうな。

それはともかく、テールフィンの元祖は1948年型のキャデラックで、当時GMのスタイリング部長だったハーリー・アール氏が、1939年に登場したロッキード社の三胴機「P3」の垂直尾翼にインスパイアされて発想したものだったという。当初、保守的なキャデラックのディーラーは懐疑的だったが、いざ発売されるや高級車の象徴として市場に受け入れられ、自社はもちろん他社からも次々とテールフィンを付けたモデルが登場する大流行となったのだ。その頂点が1959年のキャデラック62コンバーチブル。しかし、60年代に入るとブームはしぼんでいき10年後には消えていくことになる。「結局、テールフィンはアメリカの豊かさと自由の象徴だったのだと思います。戦争が終わり、閉塞した時代から解き放たれた時に、人々が求めた豊かさと自由への憧れが、機能とは関係なく、当時、技術の最先端であった飛行機の翼のカタチになって現れたのでしょう。今後、コロナ禍が明けたら同じような発想が出てくるのではないかという先取りの意味も込めて、これを企画しました」(増茂氏)

眺めているだけで、なんだかココロ豊かで幸せな気分になれる展覧会である。

上の写真は正面の3台を後ろから眺めたところ。元祖で正統派のキャデラックは飛行機と同じ垂直の羽根を持つが、後追い派は水平だったり斜めだったり、デザインはいろいろだ。キャデラックのフィンには、まるでジェット・エンジンのバックファイヤーのようなテール・ランプまで付けられているのが凄い。

写真の手前に置いてあるのは日本車で、愛知機械工業製の軽トラック、コニーグッピーを販売店がオープン・ボディに改装したモデル。その向こうに見えている赤いクルマ(下の写真手前)が、米国で販売されたトヨペット・クラウンRS-L型だ。

ENGINE 2021年7月号 掲載