みなさん、こんにちは。ENGINEのムラカミです。
これからこの会員専用サイトでは、雑誌ENGINEの歴史にまつわる裏話を連載していきたいと思います。
まずは、創刊号の表紙にまつわる、誰にも言えない衝撃の事実から。
ご覧のように、2000年8月26日に発売されたENGINE創刊号の表紙には、初代編集長である鈴木正文氏が、フェラーリ360モデナに寄りかかる写真が使われています。
撮影したのは、イタリアのファッション写真界の重鎮で、長年にわたってアルマーニの広告ヴィジュアルも手掛けたアルド・ファライ氏。クルマも当時の最先端を走っていたスーパースポーツカーということで、編集長みずからが登場し、これからENGINEという雑誌で新しい時代を築いていくゾ、という意気込みを高らかに宣言した一枚、と思われた方が多かったのではないかと思います。
ところが、実はこれ、そうではなく、あくまで急場しのぎで撮った写真なんです。
というのも、本当はここに立っているはずだったのは、当時フェラーリF1に乗って連勝街道を突っ走っていたミハエル・シューマッハー選手、その人なのです。
なにしろ、創刊号の巻頭大特集のタイトルである「時速300キロメートルのカリズマ」というのだって、ほかならぬシューマッハー選手のことを想定して付けたものだったんですから、すべてはシューマッハー選手ありきの企画でした。
ところが、撮影直前になって、ドタキャン、というあり得ない事態が発生したのです。
もう発売日まで時間がなく、撮影日のリスケもできない状況で、いったいどうしたらいいのか、編集部は途方に暮れてしまいました。シューマッハー氏の撮影とインタビューのためにイタリア入りしていたスズキ編集長も、そりゃ、真っ青になっていたと思います。
この窮地をいったいどう切り抜けたらいいのか、新潮社からスズキさんが立ち上げた会社に出向して、副編集長として編集部に加わっていた私も正直真っ青になりましたが、こうなったら開き直るしかありません。
もうスズキさんしかイタリアにはいないのだから、これはもう、スズキさんが表紙に出るしかないでしょう、とムチャぶりを承知で提案しました。
編集部の中には反対意見もあったし、さすがに目立ちたがり屋のスズキさん(失礼!)も、最初はかなり躊躇していましたが、当時の新潮社の担当役員から、「それで行け!」 とゴー・サインが出たことで、ついに覚悟を決めたようでした。
そして、出来上がった写真を見て、みんなビックリ。フェラーリに寄りかかって、カメラをキッと睨み付けたスズキさんの表情は、実にスッキリしていて邪心が感じられず、しかし内に秘めた意気込みは痛いほど伝わってきて、なるほど、創刊号で編集長がその思いを高々と宣言しているのだと誰しもが感じられるようなものになっていたのです。
巻頭大特集の初っ端では、スズキさんがモナコで開かれた国際試乗会で、フェラーリ360スパイダーを試乗する記事を大々的に取り扱っており、結果として、「時速300キロメートルのカリズマ」というのはフェラーリというスポーツカーのことであり、そしてスズキさんという人のことだ、と読めるような作りになっていました。
というわけで、なんとかピンチを切り抜けたENGINE創刊号でしたが、その後の歩みも決して順風満帆だったわけではありません。今にして思えば、いつも崖っぷちを走っていたような気がします。
それでも、いかにして崖から転げ落ちずに走り続けてこられたのか。これから、そんな話を少しずつ書いて行きたいと思います。
お付き合いのほど、どうかよろしくお願い申し上げます。
(ENGINE編集長 村上 政)